8月29日(土)道家易日筮
- 本卦(現在の状況・土台):【水山蹇】
- 変爻(本日の焦点・動的なエネルギー):【五爻】
- 之卦(向かいつつある傾向): 【地山謙】
- 本日の予定:四連勤初日
- 現在の情況・心境:休みを経て回復したが、連勤を前に少し憂鬱
回復した初日は、険を見て止まり、有を居らない
今日の流れは、水山蹇から地山謙へです。蹇は、足が病んで行けない難。上に険(坎)、下に止まり(艮)。動いた五爻は「大いに蹇みて朋来る」——大難の只中で、自ら突破するのではなく、至誠が同徳を集める。向かう謙は、有していながら居らない。火候(エネルギーの進退)としては、休み明けの回復を初日に使わず、険を見て止まり、陽を内に保つ日です。
卦の要点
蹇は巻三の卦で、人間関係や処世の場面へ原理が開かれています。貴ぶのは険を冒して進むことではなく、険を知って止まること。西南の平易に就き、東北の険阻を踏まない。五爻はその止まりのなかで、大蹇を一人で担わない焦点です。之卦の謙は、内は剛・外は柔。回復という「有」を、外に置かない方向です。
憂鬱は、四連勤という険がすでに見えている、という知らせです。払う対象ではありません。
技法層:劉一明の原意
- 水山蹇:険を見て止まり、難を知って妄(みだ)りに進まない。睽(乖違=かいい)が極まって生じる阻み。蹇に処する要は平易に就くこと。賢者でなければ済(ととの)えないゆえ「大人を見るに利(よ)ろし」。正を守って失わなければ蹇は済う。
- 九五「大いに蹇みて朋(とも)来る」:陽剛中正、尊位に居って大難の時。同徳を感召し、ともに大蹇を済う。至誠が人を感じさせ、賢才が自ら集まる。先頭で険を踏む爻ではない。
- 地山謙:陰をもって陽を保つ。有していながら居らない。剛は内に止まり、柔は外に順う。虚の極まり静の篤きをもってその所に止まる。仮の陽を止めて真の陽を養い、真の陰を運らして仮の陰を退ける。卦辞は「謙は亨る、君子は終わりあり」——始めだけ謙では亨らない。
今日の火候は進陽ではない。止まって大蹇に処し、有を虚しくして陽を保つ。
実存層:今日をどう過ごすか
休みを経て回復した気は、蹇の下にある艮(山)——まだ動いていない止まり——に近い。連勤前の憂鬱は、上の坎がすでに見えていることです。回復を「初日を突破できる」と読むと、険を知って止まる、という原意と逆へ行きます。
- 険を見て止まる。 新しい戦い、気合の演出、休み分の取り戻しを、今日始めない。
- 大蹇を一人で担わない。 「朋来る」は人脈作りではない。至誠があれば同徳は来る、という先後。気合で人を動かさない。
- 有を居らない。 回復した自分を外に置かない。内は剛、外は低く。元気を証明しない。
- 終わりまで謙。 初日の夜に「まだ余裕がある」と仮の陽を使わない。君子は終わりあり。
「本来の自分に還る」は、連勤に負けない強い自分を回復することではありません。見えている険の前で止まり、有を居らず、中の一点を使い果たさないことです。還れたかは、今日は問わない。
道家易からの学び
巻三の蹇は、内丹の語彙のまま処世を説きます。難の世で貴ぶのは剛健な突撃ではなく、止まること、正を守ること、力を協せること、時の通ずるを待つことです。社会生活は初日こそ立て、と促しますが、この卦の五爻は将を先頭に出しません。
謙が示す柔順は、無気力ではありません。陰をもって陽を保つ——押し進める力を、逆らわずに順う力の内側へ隠すことです。虚静は、憂鬱を消すことではなく、回復を満たしきらないことです。無為自然は、四連勤を無かったことにすることではなく、初日に険を冒さないことです。
今日の一行
険を見て止まれ。大いに蹇む日は、有を居らず、至誠のまま待て。

