8月10~16日(第二週)道家易週筮
- 本卦(今週の土台): 【雷山小過】
- 変爻(今週の焦点・動的なエネルギー): 【三爻】
- 之卦(最終的に向かうべき方向・帰結): 【雷地豫】
- 地卦(序盤/環境・他者など変え難いもの): 【風火家人】
- 人卦(中盤/自分自身・意志で変え得るもの): 【水天需】
- 天卦(週末/天候・時間など抗えないもの): 【巽為風】
- 中筮爻卦(参考:各爻の元の卦): 【離巽乾坎巽巽】
- 今週の予定: 二連勤→二休→五連勤(週内三勤)
- 現在の情況・心境:Geminiが死んで途方に暮れる
どうも、平尾です。
残念ながらGeminiは死んでしまいました。
おそらく大幅なアップデートでも無い限り使いものにならないでしょう。
まぁ、アレですよ。
Geminiなんてのは大容量ドライブのオマケみたいなもんですよ。
GeminiがついててもiCloudより安いですからね。
お得です。
ついでにYouTubeプレミアムライトもありますし。
どうやらClaude×オブシディアンの導入を決めるしかなさそうです。
とはいえ五連勤の終盤に新たなAIの準備とか面倒なんで、今日はAI一切なしでお届けします。
通常の周易(儒家易)なら普通に専断できるんですが、卦を立てるとき道家易に問うたので、そういうわけにもいきません。
占いってのは儀式ですから、こういう形式は大事なのです。
というわけで、今日は道家易の原典『周易闡真(しゅうえきせんしん)』の原文(翻訳文)を見ながら占断していこうと思います。
最終結果となる本卦(ほんか)と之卦(しか)は後回しにして、まずは三才(天地人)の結果から見てみましょう。
地卦(序盤・環境)【風火家人(ふうかかじん)】
◆ 家人卦(一):内を正して外を治める道
卦辞:家人は、女(じょ)の貞(てい)に利(よ)ろし
家人とは、一家の人ということである。卦の徳は、上は巽で順い、下は離で明るく、明をもって内を察し、順をもって外を斉える。内は明るく外は順う、これが家道の正である。これは上の明夷卦を承けて来る。明夷は明が外において傷つき、宜しく光を韜んで内に守るべきであり、家人は明が内において著れ、宜しく理に順って外に行うべきである。内なる傷がすでに久しければ、必ず反ってこれを内に求めて自ら治める、それゆえ家人が明夷に次ぐ所以である。
家人の道は、正をもって本となすが、家を正す道は、なおさら女を正すにある、それゆえ女の貞に利しというのである。思うに女が正しければ家道は正しく、女が正しくなければ家道は乱れる。内卦の離は中女であり、中を得正を得る。外卦の巽は長女であり、順ってよく巽う。二女がそれぞれその正を得る、これが家人の意味である。身を修める者は、家人の象を観て、国を治め天下を平らかにする道が、必ず家を斉えることより始まり、家を斉える道が、必ず身を正すことより始まることを知り、身が正しくして後に家を斉えることができるのである。
どうです、むつかしいでしょう?
我々占い師はこの難解な文章からインスピレーションを得て占断を下すわけです。
しっかりと読み込んでいればなんとなく答えが出てくるのですが、周易闡真はまだほとんど読めてないので読み解くのが大変ですわ。
AIに頼りたくなる気持ち、少しはおわかりいただけたかと思います。
一番上の「卦辞(かじ)」というのが易経の本文であり、これは道家易でも儒家易でもかわりません。
これを儒教的に解釈すれば儒家易に、道教的に解釈すれば道家易になる、みたいな感じでしょうか。
易経本文には「男」「女」という文字がよくでます。
これを額面通り「男性」「女性」と読んでもいいのですが、「男=陽=能動的」「女=陰=受動的」と考えることが多いです。
ここでジェンダーがどうこう文句のある方は、少なくとも東洋占術に向いてないのでお引き取りを。
さて、「女の貞に利ろし」ですが、ここは「自分から動き回るのではなく受け身に回るのがよい」と読んでいいでしょう。
ラオウではなくトキが正解です。
【風火家人】は家の中を整えることを意味する卦です。
家の中を文字通りの意味でとってもいいですし、身の回りのこと、家族や身内(友人や同僚など)と捉えてもいいのですが、ここをわざわざ「整えよ」と告げられたということに大きな意味があります。
現在すでに乱れているか、近々乱れるおそれがある。
なので、それらを「整えよ」というわけです。
これを道教的に見た場合、自身の内面や肉体そのものと読めそうです。
現在Geminiが死んで内心乱れまくってます。
そして五連勤の最終日を控え、疲労も溜まってきてます。
二連休を控えた今日明日、とにかく落ち着け、ということなのでしょう。
こんな感じで読み解いていきます。
どうです、意外と楽しいでしょう?
人卦(中盤・自己)【水天需(すいてんじゅ)】
◆ 需卦(一)健にして険を処る
卦辞:需は、孚(まこと)あり、光(おお)いに亨(とお)り、貞(てい)にして吉、大川(だいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし
需とは、待つことがあるという意味である。卦の徳は、上は坎で陥り、下は乾で健やかであり、健であってよく険しさの中に処る。それゆえ需という。これは健を養い時を待つ卦であって、上の屯卦を承けて来る。屯は、険しさの中に動くものであり、後天の中で先天に返り、健の道を行って坎に陥った真陽を取る所以である。ただし陽は坎の中にあって、陥ることすでに久しく、にわかに険しさを出ることができず、必ず次第に導引し、時を待って採るべきであって、自らその健を恃んで冒然と手を下し、反ってその険しさを招くようなことがあってはならない。
そもそも人は陽が極まって陰を生じてより、乾の中の陽は坤の宮に走り、坤は実って坎となる。坤の中の陰は乾の宮に入り、乾は虚しくなって離となる。ここにおいて仮の陰と仮の陽とが事を用い、健なるものは健ならず、順なるものは順ならず、意は誠ならず心は正しからず、健であっても険を知らず、順であっても阻を知らず、険を行って僥倖を求め、至らざるところがない。いま険を出ようと欲すれば、須らく険を知るべきであり、よくその険を知れば、これはよくその険を信ずることができるということである。ひとたびその険を信ずれば、内に主宰があり、戒慎恐懼して、己を煉り時を待ち、一挙一動、その所に止まって、客気に傷つけられない。これによって需の道は、孚あって光いに亨り、貞であって吉を得るのである。
◆ 需卦(二)大川を渉る
「孚あって光いに亨る」とは、険を信じてよく険に処ることである。「貞にして吉」とは、正を守ってよく険なきことである。すでに険を信じ、また正を守り、健をもって険を禦ぎ、険を借りて健を養い、時を待って歩を進め、穴に入って虎子を探るようなものであり、陰気に傷つけられないばかりか、また坎の中に陥った真陽を取って、乾の宮に帰すことができる。これが「大川を渉るに利し」の由って来る所以である。大川は至って険しく、すなわち坎の象であって、坎は陽を陥れる物であり、その険は最も大きい。険を信じて正しくこれを渉り、時がまだ至らなければ健を養い、時がすでに至れば健を進める。これを進めこれを養って、その時を失わなければ、よく険に処ることができ、よく険を出ることができて、その健はどこに行っても利あらざるはないのである。
【水天需】は待つこと意味する卦です。
自身は健やかだけど、目の前に険難(トラブル)があって進めないから待て、という感じですかね。
トラブルを利用して休んだらええやん、みたいなことが書かれてますな。
で、機が熟したら進んでヨシッ!
中盤にある二連休を利用してClaudeの導入するつもりでしたが、いきなり飛び付かずしっかり考えてから答えを出したほうがよさそうかな。
Gemini死亡というトラブル(険)が、よりよい答え(真陽)をくれそうな暗示とも思えます。
とにかく焦るなってことですかね。
天卦(週末・不可抗力)【巽為風(そんいふう)】
◆ 巽卦(一)柔巽にして漸く道に進む道
卦辞:巽は、小(すこ)しく亨(とお)る。往(ゆ)くところあるに利(よ)ろし、大人(たいじん)を見るに利ろし
巽とは、進み入ることであり、伏し下ることであり、柔順漸進ということである。象を取れば風であり、卦体は一陰が二陽の下に伏し、柔道をもって剛道を行い、急がず緩やかならず、漸次に進み、すでに内は巽(したが)い、また外も巽い、すでに下は巽い、また上も巽い、近きより遠きに達し、自ら卑しくして高きに登り、風が漸く吹いて漸く遠く、漸く吹いて漸く高く、到らざるところなきがごとくである。それゆえ巽という。これは柔巽にして道に進む卦であって、上の豊卦を承けて来る。
豊は、明と動が合一し、曲直が物に応じ、潜躍が心に随い、性命は我に由って天に由らないものである。しかし明動合一の道は、あに成りやすからんや、いやしくも柔巽漸進の功にあらざればできない。柔巽なればすなわち久しきに耐え、漸進なればすなわちよく入り、柔巽漸進、久しきほどますます力め、工夫が欠けず、終には必ず深く造って自ら得るに至る、それゆえ巽は小にして亨の道があるのである。しかし巽をよくすることは亨の道であるといえども、あるいはその巽を知ってその巽を行うことができない者があり、あるいは下に巽うことができても、上に巽うことができない者があり、あるいは上に巽うことができても、下に巽うことができない者があり、あるいは順に巽って、逆に勇むことができない者があり、あるいは始めに巽って、終わりに巽うことができない者がある。およそこれらはみな巽進の道を実行することができない。巽んで通ぜず、その知行兼ね能く、剛柔並び用い、上ることができ下ることができ、順うことができ逆らうことができ、内にすることができ外にすることができ、始終一のごとき巽を求めれば、ただ中正を具える大人のみがこれをよくすることができる、それゆえ往くところあるに利し、大人を見るに利しというのである。
そもそも大人なる者は、性命を重しとし、道徳を貴しとし、幻身を視ること枯木のごとく、富貴を視ること浮雲のごとく、内には常に余りあり、外には足らざるがごとく、真に履み実に践み、漸次に歩を進め、心は堅く志は遠く、大道が完成した後に至るまで、絶えて休歇しない、それゆえ利がある。もし大人にあらざれば、一偏に執われ、巽んでも中ならず正ならず、どうして往くことがあり利があることができようか。この往くことの利は、必ず大人に帰するのである。
【巽為風】は風まかせを意味する卦です。
正直に言いますと、解説文の意味がまったくわかりません。
本来ならこういうのは先生に聞くものですが、道家易を教える先生なんてのは、おそらく日本にひとりもいないでしょう。
だからAIに聞くんですよ!
AIなら中国や台湾、あるいは欧米の道家(Taoist)が有する知見を得られるのです。
そしてそれを現代風にうまく翻訳してくれます。
それが……できない!!
こりゃやっぱりClaudeを早く導入したほうがいいのでは?
本卦【雷山小過(らいざんしょうか)】二爻
◆ 小過卦(一)実をもって虚を用いる道
卦辞:小過は、亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし。小事にすべし、大事にすべからず。飛鳥これに音を遺す、上るに宜しからず、下るに宜し、大いに吉。
小過とは、陰が陽に過ぎる、小さきものが過ぎることである。卦の徳は、上は震で動き、下は艮で止まり、止まってもって動を運らし、動は止に本づき、止の堅固にして、動いても大ならず、かつ卦体は二陽が四陰の中に在り、内実外虚、内剛外柔にして、小をもって大を養う、それゆえ小過という。これは実をもって虚を用いる卦であって、上の節卦を承けて来る。節は、険面ありてよく悦び、内に主宰があり、世法を借りて道法を修め、人事に依って天徳を複し、命の基が堅固にして、自ら有為より無為に入ることができる。
金丹の道は、先天の真陽がいまだ複らざる時にあたっては、虚心にして腹を実にすることを求めるべきである。先天の真陽がすでに複るに及んでは、腹を実にしてまた虚心にすべきである。虚心の功は、天然の真火を運らし、後天の陰気を煆り尽くし、以て脱化を期する所以である。それゆえ小過に亨の道があるのである。小過は亨るといえども、なおさら貞に利がある。もし貞ならざれば、また亨らない。思うに小過の貞の道は、動が静を離れず、静をもって動を運らし、動静が一のごとく、真人が深淵に潜み、浮游して規中を守り、忘れることなく助けることなく、綿綿として存するがごとく、小事にすべし大事にすべからずである。
小事とは、無為の事である。大事とは、有為の事である。有為なるは、陽を采る所以である。無為なるは、陽を養う所以である。すでに腹を実にすれば、宜しく小過にして陽を養う事とすべきである。もし大にして小にすることができなければ、陽を保つことができないだけでなく、かつ陽を傷ることがある。小過の貞に利があるとは、小動に利があり、大動に利あらず、小止に利があり、大止に利あらず、動いてよく止まり、止の中に動あり、その所に止まってこれを動かし、動くといえどもその位を出でない。飛鳥これに音を遺す、上るに宜しからず、下るに宜しのごとくである。鳥は上に飛ぶといえども、その音は下に遺る、動は止を離れないのである。動が上を離れず、上るに宜しからず、下るに宜しく、小過にして大を養い、鉛を抽いて汞を添え、十月温養し、聖胎が成全し、霹靂の一声、嬰児が出現し、養うことが足りて、吉のこと大いに、小過にして大いに吉なる、利貞の小過は、神なるかな、妙なるかな。
九三、過ぎずしてこれを防げば、従いてあるいはこれを戕(そこな)う、凶。
九三は、陽気が充足し、まさに危を防ぎ険を慮るべき時にあたって、すなわち剛にして中ならず、大を知って小を知らず、過ぎずしてこれを防げば、従いてあるいはこれを戕い、天宝が得て復た失われる。これは大過にして小過を知らない者である。
これまたむつかしい…!
「小をもって大を養う」は、小額の出費で成果を得る、みたいな感じか。
「実をもって虚を用いる」は、なんだかAIの運用に通じるものがありそうな……。
とりあえずお試しでClaude試そうぜってことなのかしら。
ただ爻辞の「凶」の字が気になるのもまた事実。
爻辞の意味はまじでようわからん。
之卦【雷地豫(らいちよ)】
◆ 豫卦(一)順時而動の楽
卦辞:豫は、侯を建て師を行うに利し
豫とは、楽である。卦の徳は、上は震で動き、下は坤で順であり、時に順って動き、動いて順に通ずる。それゆえ豫という。これは陰をもって陽を招く卦であって、上の大有卦を承けて来る。大有は健と明とを両つながら用い、富有にして日々新たになる道である。富有にして日々新たであるには、須らく時に順って動くべきであって、ようやく成功することができる。もしよく時に順えば、健を進めて正を得、明を用いて当を得、火候は差わず、爻銖に準あり、急緩は法を得、進退は節に合い、有為より無為に至って、自ずから得てまた失う患いがない。その順動の楽は何如であろうか。順動の象は、侯を建て師を行うに如くものはない。侯は一国の主であり、将は衆軍の主である。侯を建てて天時に順えばすなわち一国は治まり、師を行って人心に順えばすなわち衆軍は全うされる。心は一身の主であって、侯のごとく将のごとくである。
順動が侯を建て師を行うに利あるとは、すなわち心を正しくし身を修めるに利あるということである。時に順って動けばすなわち利があり、時に順わずして動けばすなわち利がない。利があればすなわち楽を得、利がなければすなわち楽しくない。楽を致す道は、順ってこれを動かすに尽きるのである。
この記事を書き始めて一時間半ほど経ちました。
四連勤を終えた疲れもあり、もうなにも頭に入ってきません。
「豫とは、楽である」
楽ってのは音楽のことですよね?
とりあえず休みの日はドラムの練習でもすっか!
ってなわけで、限界を迎えた今日はここらで失礼します。
日曜日の検証記事で会いましょう!
あ、日筮はしばらく休みます。
では!
